四方山話|yomoyama

斎藤十郎兵衛の命日3月7日を「写楽忌」に!

東洲斎写楽が浮世絵師として活躍したのは1794(寛政6)年から翌年までの約10ヵ月にすぎない。
その間に140点余りの絵を描いた。
肉筆画も描いているが、そのほとんどは浮世絵あるいは錦絵といわれる木版画で、江戸の歌舞伎役者や相撲取りを主に題材にしたものだ。

写楽の作画期は4期に分けられる。
1期は大首絵といわれる役者の上半身を大きく捉えたもので、現代でいうブロマイドである。これが一度に28枚刊行された。


これらの作品は歌舞伎役者の顔を大きくデフォルメし、あまりにリアルに描きすぎたため、当時の評判はよくなかったようだ。

2期以降は役者の全身像を描くようになり、最初のインパクトは感じられなくなる。

3期は全身像のほか相撲絵や追善絵を描いた。

4期は寛政7年正月に刊行され、全身像のほか相撲絵、武者絵を描いている。
これをもって写楽は完全に筆を断ち浮世絵界から姿を消すことになった。

注目したいのは相撲絵である。「大童山土俵入り」という作品がある。
大童山は出羽国(山形県)出身の数え7歳の怪童。
いわゆる”客寄せパンダ”として江戸両国・回向院での寛政6年11月場所に登場した。
左中右の3枚つづきの版画で、中央は大童山が土俵入りし、左右に5人ずつ寛政の花形力士が描かれている。
横綱谷風梶之助や史上最強とうたわれた雷電為右衛門らがいる。
これらの有名力士の中に徳島出身の勢見山兵右衛門も肩を並べている。
しこ名は徳島市二軒屋町の勢見山から。
最高位は小結ながら実力があったとみえて谷風や雷電と引き分け相撲を演じている。

世界的な画家・東洲斎写楽が描いた人物であるにもかかわらず、残念ながらこうしたことがほとんど知られていないのはあまりに寂しい。
大童山は写楽に描かれたことによって今もその名が残っているのである。もっと顕彰されてしかるべきだと思う。徳島県人にとって大きな誇りとなるのではないだろうか。
勢見山の墓碑は徳島市城南町1の焼香庵跡墓地にある。鬼面山、緋縅、諭鶴羽ら同時代の江戸で活躍した力士の名が勢見山の墓石に彫り込まれている。
ちなみにこの焼香庵跡の墓地には30基にのぼる力士の墓が現存している。
全国的にも珍しいことと思われる。


徳島における相撲文化の豊かさが味わえる場所だといえるだろう。
3月7日は写楽の正体とされる斎藤十郎兵衛の命日である。
写楽の会ではこの日を「写楽忌」として、写楽ならびに勢見山をより多くの人々に知っていただこうとイベントを計画している。
関心のある方はご参加いただきたい。

(「写楽再考」2 徳島新聞2017年2月26日付、丁山俊彦)