四方山話|yomoyama

“写楽”発見  -斎藤十郎兵衛の過去帳てんまつ記〈中〉

祈る思いで寺に電話
柳生氏が、きっかけもたらす

「写楽の会」は平成7年10月に発足した。

東京でフリーカメラマンをしていた花岡徹(同会代表世話人)が、のんびりと故郷で仕事がしたいと帰ってきて間もないころのことだ。県郷土文化会館に勤務する私とは旧知の間柄だった。ある時、花岡と私の間でこんな会話が交わされた。

「徳島にも全国向けのキャラクターがほしいなあ。写楽がほんまに斎藤十郎兵衛だったらええのに」と花岡。

「えっ知らんの? もうほぼ決まりらしいよ。内田千鶴子って人が、写楽は斎藤十郎兵衛じゃって、ほとんど突き止めたんやって」

「ほんなんだったら、なんで写楽を売り出さんの」

「写楽の会」はすぐ結成された。歴史研究家でもないわれわれのコンセプトは、とにかく「写楽で遊ぶ」だった。活動計画は、写楽アート展、写楽たこ揚げ大会、写楽阿波国探訪ツアーなどなど。そして最終目標は徳島の地に「写楽記念館」を建設しよう!だった。

もちろん計画の中には研究という項目もあった。会結成の翌年には、一山典(徳島市教委社会教育課)が参加。研究部会を中心にやってもらうことにした。写楽の生まれた江戸時代のことを勉強しようということになって、写楽の会主催で「江戸学講座」を開講した。

その第4回講座があった今年の2月15日、会場の県郷土文化会館和室にやってきた柳生幸治氏によって、過去帳発見のきっかけがもたらされた。彼は歴史が好きで、若いが驚くほどの博学である。

彼がもたらしたネタは「萬聞書(よろずききがき)」という県立図書館にある能楽資料集成の一冊で、この中に斎藤十郎兵衛のことが出ているというのだ。「十郎兵衛事新之丞弟子ワキ斎藤半九郎」とある。斎藤半九郎のことを調べたら面白いのではないかとのアドバイスを得た。このとき花岡は、これは何が出るとひらめいたという。

そんなに簡単に見つかるわけない、と私は思った。県立図書館にあり、それも市販の書物の中にそんな大事なことが書かれているとは思いもよらなかったのだ。また、多くの研究者たちが、何十年にもわたって研究を重ねてきているのである。

もっと調べておきますといった柳生氏は、今度は「寛政重修諸家譜」に斎藤半九郎とその一族の名前のある項を探し出してきた。

ここには斎藤与右衛門の名も出てくる。そして、半九郎が土圭間(とけいのま)番をしていた、とあるのが目にとまった。江戸城の土圭間といえば、能役者が詰めていた所である。写楽とされる斎藤十郎兵衛とゆかりのある一族に違いないということになった。

同書によると斎藤一族の菩提(ぼだい)寺は「築地本願寺の法光寺」。ここに問い合わせれば、何か分かるかもしれない。花岡はまず築地本願寺に電話を入れ、法光寺が今も存在するかどうかを聞いた。「あってくれ」。祈るような気持ちだったという。「あった」。築地から埼玉県越谷市に移転しているとのことである。

「惜しいなあ、もうちょっと早かったら墓があったかもしれんのに」

だが、花岡は確信していた。何か出ると。あとは法光寺へ直接電話するのみだ。

最初の電話では、ご住職は不在。意気込みが大きかっただけにいささか拍子抜けした。奥さんに用件を話し、ご住職が在宅の日時を聞き、あらためて電話することを約束して受話器を置いた。


▲過去帳確認のため、埼玉県・法光寺を訪れた「写楽の会」世話人・一山典氏、歴史愛好家・柳生幸治氏、筆者の丁山氏。

1997年(平成9年)6月24日徳島新聞掲載